2009年12月17日(木)
● いすの話-1 |
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はじめに
椅子の話、現在は北欧ブームが雑誌の影響もあって根ずよい人気がある。日本と同じく木を生活の隅々まで大切にするその歴史と共通のライフスタイルがそのベースにある事は認めざるをえない。しかし、人間の体に密着する椅子等は、サイズや座る角度など、残念ながら大きく違うところも多い。これは、北欧ばかりでなく、他のヨーロッパ諸国、南北アメリカやアフリカ、中東も例外ではない。家具はまたそれぞれの國の長年にわたるライフスタイル、伝統ともからんで様々なスタイルが魅力でもある。 |
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14年前、デンマーク、コペンハーゲンのハンス・J ・ウエグナー邸に、故ウエグナー氏を訪ね取材した事がある。そのあと、PPモブラーとオーデンセにある旧カールハンセン・サンの工場見学とそれぞれのオーナーに会った。今は亡きハンス・J ・ウエグナー氏に同じ椅子のデザイナーとして数々の質問をした。そのとき撮影を許可していただき、スタジオと椅子の模型を含むウエグナー邸の他、椅子をデザインする時の哲学等、直に聞いた肉声を含むウエグナー氏の映像は今では貴重な資料となっている。今はPPモブラーと旧カールハンセン・サンの工場見学の記録映像と共に椅子塾の貴重な教材の一つである。 | ![]() |
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ウエグナー邸は最近、雑誌でもよく取り上げられているが、居間にある大きな日本の提灯は14年前のインタビュー訪問時、前とまったく同じ大きさの新しい提灯がほしいと、ウエグナー氏から依頼された。早速、日本に帰国後、京都で購入しデンマークに送った。私にとっては忘れがたい提灯である。そのとき、デンマーク訪問で感じたのは、ウエグナー氏のすばらしい椅子はたしかにウエグナー氏のたぐいまれな努力と資質に負うところも大きいが、デンマークの木の文化、マイスター制度、数百年にわたるデンマークのライフスタイルの歴史抜きには成り立たないとショックを受けた事も忘れられない。翻って日本の家具文化はどうだろうか。日本には日本のすばらしい木の文化、歴史がある。ただ、ライフスタイルが欧米化した事で服も食事も家具も新たな出発を余儀なくされた。その点においていまだに混乱している事は事実である。 | ![]() |
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しかし、それはマイナスばかりではない。新しい日本の伝統をつくる未開拓の、生き方、創造の場、市場、他、まだまだ固定していないチャレンジの場があるという事ではなかろうか。これはすばらしいことというべきだろう。まだまだ当分は混乱期という時代がつづく。日本では現在、服では「ユニクロ」、家具分野では「ニトリ」と「イケア」いう会社が独り勝ちの様相を訂している。この現象もこの混乱期と無縁ではないと思う。安さを追求した、大量消費、大量破棄の悪循環と無縁ではない今の時代の姿をあらわしている。来れで本当にわれわれの心は満たされるのか。選ぶ消費者も知恵が問われている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長年、椅子の商品開発に携わって来て、安くて良い椅子というテーマは永遠のテーマだが、値段は正直だと思う。つまりうまい話等どこにもないと思う。良い素材を使い良い料理人が料理をすれば料理もおいしい。同じことが椅子の世界にもいえる。「安物買いの銭失い」という格言は家具にも当てはまる。良い生活には知恵がいる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「椅子塾」では日本の家具の次世代を担うクリエーターと国産家具を担う人たちをわずかでも支援したいとの思いで1999年から活動をはじめ2009年の12月、11年目のプログラムが終わった。日本全国から253人の様々な、年代、職種のすばらしい塾生に来ていただいた。その楽しさは参加者共通の財産である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
料理づくりにも道具の使い方、さばき方、味の付け方にも基本中の基本があるように、椅子の世界も、基本がある。椅子の座りのメカニズムに、多くの研究者が長年にわたって研究し、道具もノミ、カンナだけでなく、コンピューターも取り入れられ変化し、図面もCAD 化され、販売も個人が参入できる環境がここ数年ででて来た。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しかし、椅子の世界は「紙と鉛筆、ノミ、カンナで入ることができる世界」でもあるという原始的職業でもある。5年前、椅子塾の活動をとうして「椅子」の本も出版した。「山海堂」から「建築資料研究社」に出版社は変わったが、あわせて7000部程がでている。本づくりをとうして文章を書くということは苦にならなくなった。11年目の「椅子塾」をおわってこの「椅子塾」のホームページをとうして思いつくままに「いすの話」をかいていきたいと思う。椅子のデザインのすばらしさ、出来事、海外での出会い等、ニュース、無駄な話も多く含まれるという気楽な椅子の話です。2010年1月からスタートします。
2009年12月17日 井上 昇 |
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2010年01月01日(金)
● いすの話-2 |
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いすの魅力
いすの魅力はなんでしょう。それは、人間にとつて、テーブルと共に、いちばん原始的な身近な道具のひとつだからでしょう。いすは生存の3原則、衣食住の中の、食と住に結びついていて、健康で快適な生活をおくる上で欠かせない道具、家具なのです。 |
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私が事務用椅子のデザインをしている時は気がつきませんでしたが、木製のダイニングチエアーデザインし、販売し始めて感じたのは、木のいすは絶対になくならない家具、商品、製品であるということです。開発費に多額の費用をかける事務用椅子と違って木製いすは、個人が誰でもデザインし、作り、販売まで参画することができるのです。この点が木製いすのすばらしいところです。 そして、いすは、彫刻的、アート的、建築的、空間的、高度な「文化的要素」もあり、生活を支える収入にも結びつく、こんな魅力的な生活道具が他にあるでしょうか。建築の大家、故村野藤吾さんはいいました、「いすは小さな建築である」と。私は思います。いすをデザインすることはその人が生きた時代をデザインすること。有名だろうが無名だろうが良いではありませんか。自分の考えたいすをデザインし自分で使う。人が使う。いすの魅力はこんなところにあるのです。(O社) |
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私は長い間、事務用椅子をデザインしてきました。すでに生産中止になったシリーズが多いのですが、O社の椅子100万台、K社300万台、I社60万台、確認しただけでもこんなにも多くの私のデザインした椅子が今でも日本中で使われています。その他、天童木工やパブリックチェアーもあり、そして、現在も増えつづけています。先日、NHKの朝の8時15分からの連続ドラマ「ウエルかめ」を何気なくみていましたら、ヒロインが座っていたハイバックの事務所の椅子、あれは私が20数年前にデザインした、K社の椅子でした。この椅子はたくさん生産されましたので今でも日本中で使われています。(K社) | ![]() |
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東京都庁、第2庁舎の事務用椅子のほとんど、7036台は丹下健三さんが選んで下さったI社の椅子で、丹下仕様という特別カラー、布地のものです。ほとんどの人はそれが誰がデザインしたかなど思いもよらないでしょう。しかしデザインした当人にとってはそれをいまでも見ることができるのはとても楽しいものです。あ、ここにもある。我が家の生活を支えてくれたかわいい椅子たちなのです。(I社) | ![]() |
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私と椅子との出会いは23歳の時に家具会社に入ってからですが、実務として始めたのは30才から。遅いんです。スペースデザインの仕事をその前してたとき、当時、丸の内にあった、モダンファー二チュアセールスというハーマンミラーの家具を売っている会社のショウルームがあって、とことんのめり込むことになったのは、そこでイームズの椅子に出会ってからといえるでしょうか。自分の生涯をかけても、悔いのない、ライフワークとしての椅子デザインに目覚めさしてくれたのは、あの詩的で魅惑的なイームズの椅子に出会ってから。(イームズシェルチェアー) | ![]() |
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イームズ以後、事務用椅子のデザインの世界では唯一の巨匠といえる、やはりハーマンミラーのアーロンチェアーで知られる、故ビル・スタンプとの出会いもすばらしいことでした。同時代にこの2人の巨匠と生きられたのは大変恵まれたことでした。(ビル・スタンプ2007年死去) | ![]() |
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レイ・イームズとは、チャールズ・イームズがなくなった翌年、1979年、ミシガンのクランブルックで私のスタジオのなかでと、帰国時、ロスアンジェルスの「109」イームズスタジオ、5年後のワシントンDC でのデザイン会議で、ビル・スタンプとはシカゴで、ハンス・ウエグナーとはコペンハーゲンの自宅兼スタジオで数時間にわたって色々話しを聞くことができたのは今は良い思い出。(チャールズ&レイ・イームズ、チャールズ1978年、レイ1988年死去) | ![]() |
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イームズへのあこがれは、イームズがいた学校、クランブルクに行くことになるとは20代の時は思いもよらぬことでした。そして、イームズの椅子を生産しているハーマンミラーのあるミシガン西部、ジーランドの椅子工場を訪ね、ショウルームの中のイームズの椅子を配置したオフィスに一歩、足を踏み入れたときの感激は生涯忘れることができない出来事でした。こんな素晴らしインテリア空間があるのか、椅子をデザインするというのはこんなすばらしい仕事なのか、日本ではもとより、それまでの人生で味わったことのない、感激と高揚感に包まれ、そのとき以来、「現状はいかにあれ」いすの創作に生涯、関わっていくことを決断、今に至っています。アメリカでのこの出来事がなかったらいすに関するイメージはもっと平凡なものになっていたでしょう。椅子のデザインは生涯かけて悔いのない仕事、それを決断させてくれたのがイームズの仕事なのです。(上の写真:109イームズスタジオでレイに撮ってもらい送ってくれた写真1981年1月、下の写真:スタジオ内部)
2010年1月1日 井上 昇 |
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2010年01月15日(金)
● いすの話-3 |
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いすに座るのは疲れる。
いすは色々な顔を持っています。座る道具としての実用的ないす。アート的な実用より彫刻に近い見るいす。地位や富を誇るための椅子。仕事用、家庭用、店舗用、野外用、介護用、電車用、自動車用、飛行機用、教会用、結婚式用、お寺用、葬儀用、子供用、まだまだあるかもしれない。素材も木、からスチール、アルミ、プラスチック、布、紙、コンクリート、陶器、等々。ここではそのいすの種類をあげてもきりがないのでここではいすの効用について考えてみます。原始的に、いすは床に座るわけにはいかないので簡易的に座るという人間の体を支えるという機能を持ち発達してきました。(写真説明:『HUMAN DIMENSION & INTERIOR SPACE』Whitneyから引用) |
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一般的にいすに座るのは楽だからという言葉をよく聞きます。いすの設計者からいわせるといすに座るのは楽だからということは否定しませんが、楽ではないという一面があることを言わなければなりません。いすに座るのは疲れるのです。ながーいこと座ってごらんなさい。とくにソファや乗り物のいす。疲れるでしょう。そうです、いすに座るのはとても疲れるんです。 人間の動作からみた視点では、人間の骨格上、いちばん疲れない姿勢は、寝るか立っているのがいちばん無理がないそうです。しかし、寝てばかり、立ってばかりいられないので、その中間として座るという動作が必要になってきます。その座るための補助道具がいすなのです。どうして疲れるかというと、人間本来の姿勢に逆らって無理をするからです。 どんな無理をしているかと言えば、本来胴体はSの字状のカーブを描いて立っているか寝ているのに、座ると上体が猫背になってくる。頭は前に出ていてその重量を支える為に肩の筋肉を使い肩がこる。いすの役目は、いすに座った時、猫背になる脊椎を立っていた時の同じSの字状のカーブになるようサポートする。ということで、いすの機能としては座面よりも背の形が意味を持ってきます。おわかりでしょうか?(写真説明:『HUMAN DIMENSION & INTERIOR SPACE』Whitneyから引用) |
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そこでです。どんないすが良いかと言いますと、服と同じく座る人のサイズ、寸法に合わせた方が良いのです。いすが第3の服といわれるゆえんです。身長の高い人、小さい人。足が長い人、短い人。人種、風土によってまたえらく体型も様々です。ですから日本の人が座る椅子は日本のはっきり言って「胴長短足」「小柄」にあわせなければならないのです。そうしないと疲れるのです。体にあっていない服を着ると疲れるように。欧米人のように「胴短長足」「大柄」にあわせるとどんなにかっこいいでしょう。日本のいすの設計者としては非常に残念です。このことは、座面の高さ、後傾の角度、サポートする背の高さ、角度すべてに日本人と欧米人の快適に感じる数値がはっきりいって違うのです。たとえ、北欧の名作椅子でも。(写真説明:『ERGONOMICS IN COMPUTERIZED OFFICES』Taylor & Francisから引用、左側は猫背、右側は正しい姿勢の背骨の状態。) | ![]() |
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今日も地下鉄に乗り、霞ヶ関、表参道のラッシュアワーの通勤の人にもまれてここ青山の事務所に来ましたが、この沢山の人は会社に行けばほとんど椅子に座り、自宅に帰ればほとんどの人が椅子に座っているのだと思いました。しかし、椅子に座ることの健康面にどれだけの人が意識しているのかあまりみえてきません。健康に問題ない時はどうでも良いこと。その程度ですむ問題なので、ある意味でハッピーなことです。しかし、ひとたび健康に自信がなくなってくる、たとえば、腰痛とか、足が悪いとか、老齢化とか,また一日中、仕事場で家でながく仕事するとか、隠居して座っている時間が長いとかとなると、その人にとって良い椅子と巡り会うことは意味が違ってきます。しかし現実には、かなり、教養の深いかたでも椅子に関して無知な方が多い。こんな事がありました。(写真説明:日本とアメリカの標準女性の比較-座高) | ![]() |
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今は椅子の販売をやっているので、時々、都内で近くの場合、お客さんに届ける事があります。ある高齢なご夫婦の例です。都内でも高級な住宅地にビルを所有されてて、2階に住まわれ1階、上階は貸事務所として貸しておられ経済的には恵まれた方です。奥様は健康を害しながらも自宅で車いすで優しいご主人と住まわれています。椅子がつらくて仕方がないのでお声がかかったのですが、お金持ちなので、若いとき買われた高級な、大きなクッションの厚い重厚なダイニングチェアーで食事をされています。若い時はそれで良かったのですが、現在はその椅子が大きすぎるので、座と背にクッションをおき、調整をしていました。その調整を息子さんがやってくれたと言われます。私の見るに、クッションがたっぷりあってふかふかな椅子は良い椅子という考えが根ずよくあります。若い時はいざ知らず、筋肉が弱り、運動能力に対応できにくい高齢の車いすの人が、風船の上に、それも一日中座っているのです。それで腰がいたい痛いと我慢しています。そのご夫婦は高齢なので自分で家具屋にいくことができません。またコンピューターを操作することができません。ですから自分から購入する手段がないので、家族がよかれと現在の椅子を調整してくれたのです。私から見ると善意と無知からでた拷問です。私とのコンタクトは雑誌に私の椅子が紹介されたので電話が来たのです。この経験はショックでした。。(写真説明:座高は同じでも足の長さが違うことの例、欧米の椅子はその国のユーザーに当然あわせる) | ![]() |
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同じような状況におかれた高齢者が日本中に相当いるのではないかと。椅子のこともっと勉強しましょう。私の好きなテレビのCM にこんな言葉があります、 「あなたのためだから」、「あなたのためだから」。 2010年1月15日 井上 昇 |
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2010年02月02日(火)
● いすの話-4 |
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いすは人間臭いから面白い。
いすを設計する時、1/1の原寸図でかきます。今はパソコンで図面をかく時代なので、なんだか時代遅れのような気がするとしたらそれはどうでしょうか。いずれ、パソコンに落とし込むにしても最初は、確認の意味で1/1のトレーシングペーパーにスケッチの感覚で線をかき徐々にまとめていく作業はやってみて無駄ではないでしょう。椅子は1ミリ、0.5度の寸法が意味をもってくる事を知っているレベルの人にとって、椅子をデザインすることは「修行」に近い作業、経験の世界、アートの世界なのです。私の椅子塾ではこの古風な1/1原寸図なる物をかたくなにやっていますが、これが意外に若い人に好評なのです。図面書くのって、汚れるし、疲れるし、格闘技に近い。そうです。椅子のデザインは格闘技なのです。 |
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以前、ロサンジェルス、サンタモニカの隣り街、ベニスにある「109」イームズスタジオをたずね、レイ・イームズに案内してもらい、あこがれのチャールズ・イームズが使っていたA0 の製図板を見た時、その質素でシンプルなどこでもある作業場に何とも言えない感銘を受けた記憶があります。あの大チャールズの机がこんな粗末などこにでもある唯のテーブルとは。ウエグナー邸で見た作業テーブルもただの大きな製図板が数枚あるのみでした。弘法(こうぼう)筆を選ばず。大家はシンプルなのです。「椅子のデザインの原点」ここにありです。(写真説明:イームズ・ソフトパッドチェアー。最も座り心地が良い椅子) | ![]() |
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このところ展示会に行くと、こういう言葉を良く聞きます。 「原点に戻れ」、「原点に戻れ」と。「椅子の原点とは何」。椅子の原点といえば、椅子のデザインは人間のお尻とボディーが無視できません。人はテーブルの上のごちそうを食べ、その食物はボディーを通過しながら、栄養を吸収したあと、最後はお尻から外に出す。生きる事はこの繰り返しです。
(写真説明:鹿島出版:建築・室内・人間工学 から引用) |
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![]() (写真説明:AWAZA ダイニングチェアーの座の体圧分布) 椅子はお尻を気持ちよく支えなければなりません。椅子は人間工学的にはお尻のぐりぐり、すなわち座骨結節で体重を支え、猫背にならないように骨盤の上を支え、Sの字状に体をサポートする。そのぐりぐりは左右ひとつずつありその間隔は120〜130ミリという事知っていました?やせていても太っていても余りかわりがないそうです。ここが重要なんです。このお尻を正しく支える形が椅子の善し悪しを決定的にきめてしまうのです。 |
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体は若い時は筋肉もたっぷりありますが、年取ってくると弾力が亡くなり始末の悪いことに背も縮んで来ます。そこでその柔らかくなったお尻と猫背気味な背をきちっとサポートしてくれる椅子が老後の健康に意味を持ってくるのです。お金いくらもっていても健康でいないと意味がない。精神的にもです。「人間は裸で生まれ、裸で土に帰る」。この間、話しを聞いた、90歳と9ヶ月の知り合いの大先輩の話しの中でこんな事いっていました。「人間はオムツから始まりオムツに終わる」。今の高齢化社会の実情を言い当てておかしくなりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「椅子はお尻から始まりお尻で終わる」椅子の原点です。
2010年2月2日 井上 昇 |
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2010年03月01日(月)
● いすの話-5 |
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いすのパイオニアとの出会い。
私が最初に出会ったいす、それは、大学浪人時代、横浜の桜木町に近い、神奈川県立図書館で出会った天童木工のいすでした。この図書館は前川國男の設計によるもので、この図書館の為にデザインされたいすが水之江正臣の天童のいすだったのは後で知ることになります。 |
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約10年後、毎日デザインコンペで特選1席をとり、竹橋の毎日新聞社で表彰式に出席した時、目の前に、同じ年、毎日デザイン賞を受賞した3人のいすのスターデザイナー、水之江正臣、長大作、松村勝男の3氏が奥様同伴で座っていて感激したのがなつかしい思い出。 (写真説明:左側・豊口克平、右側・剣持勇) |
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1浪して武蔵野美術大学の受験の面接で出会ったのが、豊口克平先生。
![]() ![]() (写真説明:豊口克平氏といす) |
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直接の担当教授は工業デザイン専攻だったこともあって、スバル360のデザインで有名な佐々木達三先生。
この両先生は終生の恩師。高校時代の、美術の恩師、水谷春夫先生、会社に入ってからの人間工学の恩師、小原二郎先生、人生の節目で先生には本当に恵まれた。 |
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豊口克平先生は剣持勇共々いすをデザインしていることで知られているが、佐々木達三先生迄いすをデザインしていることは今回調べてみてビックリ。
(写真説明:佐々木達三氏デザインのいす) 豊口克平先生は形而工房というデザイン運動もやっていてイスのデザインばかりでなく、雪の上で、いすの人間工学実験をやっていたパイオニア。 |
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知らず識らずのうちに多くのいすの大家と出会い、影響を受け、今日に至っている。これらそうそうたるデザイナーとの恵まれた出会いを、自分がその年齢になった時、後輩に恩返ししたく始めたのが椅子塾を始めた理由のひとつでもある。 豊口克平、佐々木達三両先生に会い、講義を聴き、指導を受け、沢山の体験談を聞きそのスケールの大きさ、レベルの高さ、あー、僕は今、大学にいるんだと感激したこと思い出す。佐々木先生から常々言われた。「道具は自分で作れ」「フォルクスワーゲン、ビートルはインボリュートカーブ」「自分は人より10年遅いと思え、そうすれば焦ることはない」。今も座右の銘である。 2010年3月1日 井上 昇 |
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2010年04月01日(木)
● いすの話-6 |
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いすと本。 1984年創刊、美術出版のデザイン雑誌「デザインの現場」最終号が届いた。170号。最終号の特集はデザインを支える職人。「椅子塾」も家具の世界をめざす人材をサポートするプロ塾として紹介していただいた。「椅子塾」の多くの椅子の製作と指導いただいている家具モデラーの「宮本茂紀」さんも大きく紹介されている。「椅子塾」と宮本さんとは1999年の開塾以来、宮本さんのところで作っていただいた椅子は200脚は軽く越えると思う。 (写真説明:『デザインの現場』最終号) |
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椅子塾のコンセプト、一流のクリエーターになるには、一流の人と会い、一流の物を見、一流の職人と出会い、一流のものづくりを体験する。「椅子塾」の内容は、「いすの人間工学」「図面の描き方」「いすのデザイン」「椅子の展示会」、を井上が青山で指導し、実物のいすは宮本さんの開発工房、ミネルバで作る。つまり2つのフィルターを通ることによって完成度を上げると同時に職人に学ぶという体験をつむことを経て自立して活動できるクリエーターを輩出するのが目的である。 (写真説明:左から2人目・宮本茂紀、ミネルバにて) |
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日本での代表的な椅子のデザイナーはほとんどといっていいほど、宮本さんにお世話になっている。私の大好きな友人、故佐々木敏光もその1人だ。その同じ体験を椅子塾生にも体験するチャンスを作る。人脈を作る。デザイナーにとって一流の職人と出会うことはハンス・ウエグナーを見ても、決定的意味を持つ。この「デザインの現場」の最終号で椅子塾の若手OBが3人出ている。 (写真説明:佐々木敏光氏、『CONFORT』2006 No.88より抜粋) |
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それにしてもデザイン関係の名物誌がまた1つなくなった。残念でならない。2006年3月号で50年続いた、工作社「室内」が休刊になって、今回また、「デザインの現場」が2010年4月号で26年の歴史を閉じる。今、出版業界は転換点。しかし、ウエブが活字にかわれるだろうか。手に取って繰り返し見、参考図書として保存、ピンナップボードとしての役割、時代の証人、それを果たすのが「本」だ。古本としての魅力もある。美大時代、日本橋、丸善で手に取る「工芸ニュース」の新刊をどれだけ待ちわび、宝物のように大切にし、繰り返しすり切れるまでくりかえし読んだ。なぜならそこに「未知のデザインの世界があった」。デザイン誌もほとんどなかった時代。北欧デザイン、チャールズ・イームズ、剣持勇、渡辺力もここで知った。 (写真説明:工作社『室内』) |
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本のことでは3年前、苦い経験がある。「椅子」人間工学・製図・意匠登録まで(2004年10月初版)と「椅子-2」(2006年初版)2冊の椅子の本を本郷にある[山海堂]から出した。「椅子」人間工学・製図・意匠登録までは2年半で4版を重ね5000部をこえた。しかし、1896年(明治29年)創業、112年の歴史を誇る[山海堂]は2007年、あっけなく倒産。頂けるはずの著作料、約100万円はいただけず、債権者に。本の継続には破産管財人から「本の発行権」を買い取とれとのこと。 (写真説明:山海堂『椅子』『椅子2』) |
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なんと自分の著作の発行権なるものを2冊、20万円で買い取り、今度は絶対倒産しない出版社として選ばしていただいたのが「建築資料研究社」。日建学院も経営している会社。改訂版として、修正したかった製図の項目と、模型製作の新たな追加資料を加え再出版していただいた。1年半をすぎ販売も順調に推移し、初版と改訂版との合計で7000部ほど世にでている。苦労し、部数が伸びた割にはあまり収入には結びつかないとの実感があるが、日本全国の公共図書館や書店、アマゾンで自分の本を見つけ、家具会社の開発部門や多くのクリエーター、教育の現場でお役に立てていると聞くのはとてもうれしい。本の醍醐味である。お金にかえられない。 (写真説明:建築資料研究社『椅子』改訂版) |
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休刊した『室内』誌では人物登場に出していただいたり、家具のディティール集にも掲載していただいたり、「椅子塾」の紹介もしていただいた。『室内』にのせていただいたおかげで信用を得、今に至っている。瓦版としての『室内』誌の存在はおおきく、広告する媒体が無くなってしまった。そして、『デザインの現場』の終巻。インターネットの存在のありがたさは、このホームページを発信できたり、アマゾンや、椅子の販売では欠かせないし、世界とつながっている。しばらくご無沙汰していた、ミネアポリスの友人で椅子デザイナーでもある、ダン・クラマーからホームページ見てメールが来た。確かにウエブサイトは欠かせない、しかし、本も欠かせないと思う。本は復活する。私はそう信じている。 (写真説明:天童木工、室内「家具のディテール」) |
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2010年04月01日 井上 昇 | ![]() |
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2010年05月04日(火)
● いすの話-7 |
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いすと留学-1 5月のさわやかな風とまばゆいばかりの光を浴びるとアメリカでの記憶がよみがえる。5月1日、折しも30年前に留学したクランブルックのキャンパス写真がミネアポリスのダン・クラマーから届いた。桜の花が満開の校舎の中庭の写真。ダンいわく、デトロイトに出かけ母校に立ち寄った時、写真をとった。こんなきれいなクランブルク見たの初めて。ノボルに写真を送る。楽しんでくれるだろう。ダンはクランブルクの1年後輩。30年たった今も親友だ。今もミネアポリスだけでなく、ニューヨークやカリフォルニア、オハイオ、コネチカット、などに親しい友人がいる。 |
![]() クランブルクキャンパス、 桜の花 |
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1979年6月、11年勤めた家具会社を34才で退職し、羽田空港からリュックを背負い、サンフランシスコ経由でデトロイトに。アンナーバーでの3ヶ月の英語研修を経て、8月、イリノイの農家に1ヶ月ホームステイしたあと、9月、クランブルクに入学。11月、家族を迎え、1981年5月の卒業。半年滞在し帰国。まったくの私費留学。円が1ドル270円の時。その後日本に帰っても仕事が入らず3年間まったくの無収入。1200万円の借金が残った。私の場合、37才のフリーの家具デザイナーとしての出発時はまったくの借金生活からのスタートだった。 | ![]() ニューヨーク デザイントリップ |
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あれから30年。留学から帰ってから海外に行く機会が増え、20数年間、毎年アメリカ、ヨーロッパへ。27カ国は足を運んだ。スタジオや自宅に訪ねた家具デザイナーでは、レイ・イームズやハンス・ウエグナー、マリオ・ベリーニ、デビット・ローランド、リチャード・シュルツ、シモ・ヘッケラ、会場で会話したのはビル・スタンプ、ドン・アルビンソン、ニールス・デフェリエント、ルッド・チュウゲンセン、会場で会ったのはフロレンス・ノル、アントニオ・チッテリオ、建築家ではフランク・ゲーリー、ダニエル・リベスキン、アルバート・スターン等等。残念なのはジョージ・ネルソンとシカゴの展示会で何年もすれ違いながら話す機会を持てなかったこと。 | ![]() アルバート・スターン/N.Y. ![]() デビット・ローランド/N.Y. |
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最近はアメリカで日本人の留学生が減ったという。中国の留学生ばかりだという。留学はアメリカでなくともヨーロッパ、アジアでもよいと思う。日本を外から見る、旅でなく、生活するという視点から体験することはリスクをこえて人生の見方を変える。肯定的になる。そして自費で留学することをおすすめする。リスクなくして本当の意味がみえないからである。アメリカの学校は全世界から留学生が来ているのでいろいろな国の親しい友人ができるのでおすすめ。海外から見るといかに日本という国がすばらしい国かよくわかる。そして愛国者になる。6月に続く。 | ![]() 1年時課題:展示ディスプレイ |
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![]() 1年時課題:照明 |
![]() 選択課題:プリントメーキング |
![]() 1年時課題:ワイヤーイス |
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2010年05月04日 井上 昇
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![]() 個室スタジオ |
![]() 家族留学:エリエル・サリネン設計キャンパス |
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2010年06月01日(火)
● いすの話-8 |
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いすと留学-2
クランブルクに入ってまず驚いたというか面食らったのが、教授陣の若さ。デザイン科の教授、3D,すなわち立体、プロダクト、インテリア担当のマイケル・マッコイは私と同じ年の34才。2D、すなわち平面、グラフィックデザイン担当のキャサリン・マッコイが1才年下の33才。2人は夫婦。 |
![]() 30年前のマイケル&キャシーマッコイ夫妻(デザイン) |
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建築科の教授、ダニエル・リベスキンは2才年下の31才。マイケル・マッコイはノルのデザイナーとして、ダニエル・リベスキンはベルリンのユダヤ博物館、ニューヨークトレードセンターの再開発ビルコンペの優勝者としてスターになる。アメリカの学生は学校を選ぶのではなく先生を選ぶ。学生が教授を評価するシステムがあり先生も安穏としていられない。 | ![]() 現在のマイケル・マッコイ(左から2人目)左、トム・リーン、井上、現在の教授(5年前シカゴで) |
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他の教科も選べるのでプリントメイキング(版画)をとる。その教師がカナー・エバーツ。1年先輩には、エリック・チャンや、一時、ニューヨーク近代美術館(MOMA)のデザイン部長にもなったマイケル・ヘンシャス、今もアメリカで活躍しているトム・リーン、1年後輩では、椅子のデザイナー、ダン・クラマー、グラフィックのルシル・タナザス等々。 | ![]() 30年前のダニエル・リベスキン(建築) |
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![]() 右:マイケル・ヘンシャス |
![]() 左から2人目、ルイーズ・ネーベルソン(彫刻家)、学長(当時) |
![]() 現在のダニエル・リベスキン(5年前のシカゴで) |
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![]() クランブルク卒業生パーテイ、世界中から集まる。 |
![]() 右後:カナー・エバーツ(ロスアンジェルスのアトリエで) |
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アメリカにおける椅子の人間工学の権威でデザイナー、ニールス・デェフェリエント、レイ・イームズ等の大先輩とも知り合う。 アメリカの椅子の人間工学に接し、ヒューマンスケール、インチの意味を学ぶ。たった2年半の大学院とそれに伴うアメリカ滞在だったが、その後30年そこから派生した人間関係、刺激、国際感覚等いまも与え、与えられている事柄は予想以上だった。同じ釜の飯を食う仲間。それが学校に留学する意味だ。そして何よりもデザインビジネスのことをアメリカで学んだことが何よりも大きい。そして自由の意味も。人間はパンだけでなく精神の食物が必要なのだ。自分の位置、ポジショニングそれが分かったことで帰国してからの方向が決まり、今に至っている。 日本での留学仲間の交流は今も楽しみ。アートの分野の仲間もいてとても刺激的。1昨年後輩も入れて第2回クランブルク・ジャパン展を新宿OZONで開催。海外や日本の留学仲間は私にとって他分野の窓をたくさん持っているようなもの。多くの影響を受けたり与えたり、同時に世界平和の貢献にもつながっている。 |
![]() アメリカの椅子の人間工学 ![]() 左:アメリカの椅子の人間工学の権威、デザイナー、ニールス・デェフェリエント(シカゴ) |
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![]() クランブルク卒業制作、ワイヤーシーティング、全て座れるモデル、1脚1週間、8脚制作(1981年) |
![]() クランブルクの卒業式(1981年) |
![]() 左:レイ・イームズ(1988年ワシントンDC )にて |
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![]() クランブルク学生が青山の事務所に訪問。 インターンシップを含め交流は続く |
![]() 第2回クランブルク・ジャパン展、集合写真(2008年) |
![]() 第2回クランブルク・ジャパン展、ポスター |
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2010年06月01日 井上 昇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2010年07月01日(木)
● いすの話-9 |
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いすのビジネス-1
クランブルクに留学した事で実際のアメリカの家具ビジネスを知ることに。日本ではあまり知られていませんが、クランブルクはアメリカの家具の世界で、デザイナー、企業家、人材を多数送り出す機関として有名な美術学校。 |
![]() クランブルクキャンパス |
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なかでも、デザインリーダーカンパニーとして知られる、ハーマンミラー社やノル・インターナショナル社はクランブルクを抜きに語れません。ハーマンミラーはチャールズ&レイ・イームズ、ノルは創業者兼デザイナーのフロレンス・ノル、エーロ・サリネン、ハリー・ベルトイア、ドン・アルビンソンらが会社の基礎と方向をつくりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ![]() ![]() ![]() レイ&チャールズ・イームズ 作品:合板イス/シェルチェアー/ワイヤーチェアー |
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60年近くたった今も、創業時の伝統は引き継ぐもので、それだけに創業の精神、目的は大変重要だとつくずく思います。共にヨーロッパからの移民が作った会社で、ハーマンミラーはミシガン州のオランダ移民、ノルはペンシルベニア州のドイツ移民。アメリカ伝統のピューリタニズム精神(新教キリスト教)が創業の精神に色濃くあります。その精神のもとにアメリカのデザインビジネスも成り立っています。その現れが、デザイン契約。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ![]() ![]() フローレンス・ノルとエーロ・サーリネン 作品:左/フローレンス・ノルのインテリアデザイン 右/エーロ・サーリネンのチュウリップチェアー |
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ハーマンミラー方式とノル方式
これは私が便宜上、説明する時わかりやすいのでそう呼ばしていただいているだけです。留学後、20年間、アメリカに年に一度は訪れ、実際に友人等も通して、アメリカでの家具会社とデザイナーとの関わりをみた体験に基ずく私論です。日本と違って両社とも基本的に社内デザイナーはいません。外部デザイナーとの協力で新製品を開発し、社内はサポーターに撤します。2社ともデザイン契約は「ロイヤルティー契約」にかわりはないのですがその取り組み方によって2社のその後の規模は大きく違ってきます。家具開発は通常、2年から5年の長い開発期間を要します。その間、期間の拘束料としてハーマンミラーは世界中からデザイン提案を持ち込むデザイン事務所の中から数社を選び、選んだ若手、新人に開発期間中の費用を保証します。しかし、採用に成らなかった時は費用は作業量として返還を求めません。ノルの場合は長い開発期間、費用は基本的に払いませんが、製品化して販売と同時にロイヤルティーを支払います。それだけに開発期間中、支払いなしで事務所を維持する事は大変で新人には無理です。それもあってか、ノルは、経済力のある、有名なデザイナー、建築家にデザイン依頼する事が多く新人にはとてもハードルが高いというイメージがあります。 |
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![]() ![]() ハリー・ベルトイヤー 作品:ダイヤモンドチェアーシルーズ |
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両社ともほぼ同じ時期スタートを切りながら、その後の展開は、多くの知恵を集め、ダイナミックな若手のデザイナーを呼び寄せ、発展をとげたのはハーマンミラーでした。多くの知恵を集める。企業の発展にとって欠かせない事ですが、ハーマンミラー方式の家具会社は日本には現在もほとんど見当たりません。ノル方式にとても近いデザイン契約をしているところは、日本では「天童木工」や「宮崎椅子」「カンディーハウス」あたりでしょうか。家具デザインの魅力、それはロイヤルティー契約抜きには語れないのです。アメリカの松井秀喜やイチロー、松坂大輔をみればおわかり頂けるでしょう。海外には家具デザイナーのミリオネアが多くいても日本にはほとんどいない事をみてもわかります。しかし悲観するには及びません。家具デザインのすばらしさを日本で実戦していて、ビジネス的にも楽しんでいる多くのケースがあるのです。次号でお話しします。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ![]() ![]() ニールス・ディフェリエント 作品:ノル社・タンデムシーティング/ヒューマンスケール社・リバティチェアー |
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ニューヨーク・アンテナデザイン「www.antennadesign.com」とInoda+Sveje 家具デザインの世界でも海外で活躍している人を2人紹介しましょう。アンテナデザインの宇田川さんはニューヨーク在住で、クランブルクの後輩、今年の6月、シカゴ、NEOCON(全米家具見本市)でノル社から新システムテーブル「Antenna Workspaces for Knoll」を発表した人です。ニューヨーク地下鉄の券売機と車両デザインで有名なデザイナーで、アップルコンピューターにも3年デザイナーとして実積があるかたです。下記のウエブサイトで作品をみていただけます。 https://www.knoll.com/neocon/10/neocon2010_prs.jsp |
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![]() 宇田川 信学さん(うだがわ まさみち) |
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イノダ+スバイエ https://www.inodasveje.com
イノダさんはミラノ在住の日本とデンマークのペアユニットの家具デザイナーです。6月初旬、事務所の近くで宮崎椅子の展示があったときお会いし、そのすばらしい椅子に感銘を受けました。木製の椅子では現在考えられる最高の技術とデザインが融合した椅子を発表。宮崎椅子の高い技術とデザインがとても示唆的です。 |
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![]() ![]() ![]() スバイエ&イノダ さん |
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2010年07月01日 井上 昇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2010年08月03日(火)
● いすの話-10 |
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いすのビジネス-2
現在、オフィス家具にしてもコントラクト家具、ホーム用にしても大変厳しい状況下にありますが、この状況は時代の変わり目と思えば、とても可能性に満ちた時とも言えるのではと思います。特に若い人にとってはチャンスです。 |
![]() AD CORE |
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青山にいるといろいろな家具のビジネスケースが見えてきます。青山近くで過去20年で急成長した家具会社がいくつかあります。その代表格と言えるのが、AD CORE 、WISE WISE 、TIME & STYLE、その他、TRUCK FURNITURE 、STNDARD TRADEなぜか横文字ばかりの会社で皆さんもなじみなのではないでしょうか。これらの会社に共通しているのは1人のデザイナーがその会社の椅子を含めた家具をほとんどデザインしていること。これはその会社の創業時の成り立ちが創業者の社長とデザイナーとが仲間ということと、デザイナー自身が経営者側の立場に立っているモチベーションが、時代の流行を的確に汲み取り、業績を上げる良き循環になり、急成長の原動力になっていると思います。 | ![]() TIME & STYLE
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でも、会社の組織が大きくなってくるとまた別の局面が出てくるでしょうがその時はその時でのやりようはあるものです。若い方にとってなじみのある家具会社「TRUCK」とか「STNDARD TRADE」。その出発は夫婦であったり、仲間であったり、共通しているのは自分のスタイルにこだわり、自分で作り、自分で売る、ということが共通しています。家具工房が大きくなった家具会社と考えてもいいかもしれません。好きからはじまる。そして、ここから次のステップに入るときに2つのタイプにわかれる。1つ目は自社工場(大きさは色々)を持ち直接販売する。いわゆる直販。農家が自分で作った野菜を直接売るのと同じ。利益率が良いかわり設備費、人件費、お店を持たなければなりません。青山では「家具蔵」「ウッド・ユウ・ライク・カンパニー」が有名です。 | ![]() TRUCK
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2つ目のスタイルは生産を外部に委託し、販売するやり方。いわゆるファブレスメーカーになる。スポーツシューズのナイキが有名ですが、AD CORE 、WISE・WISE 、TIME & STYLEはこのタイプです。山形の工場で作っています。ここに一つのヒントがあります。30台分の前支払いをすれば、作って、在庫して、2週間で発送してくれる。今はその時代なのです。家具会社で採用して生産していただけなくとも、今は自分でデザインし、自分で販売することが可能な時代になったのです。それが可能になったのは、コンピューターと宅配システムです。NCの時代なのです。 | ![]() 家具蔵
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ということで、私も5年前から自分でデザインし、自分で販売しています。腰に優しい椅子、AWAZA という介護椅子に見えない介護椅子を年間3〜400脚を販売しています。デザイナーは、自分でデザインできる強みがあります。ロイヤリティーも良いですがその10倍、20倍の利益があることが自分で販売する強みです。そしてお客さんと直接、接客することによって、新しい商品の方向が見えてきます。つまり、自分で販売することによって製品開発の方向がはっきりする。そんなの出来ないよというあなた。一歩踏み出してみませんか。その一歩から全てがはじまります。今はそういうことが誰でも可能な時代にいるのです。なんと素晴らしいことではありませんか。
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2010年08月03日 井上 昇 | ![]() AWAZA 2 |
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2010年09月03日(金)
● いすの話-11 |
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いすのビジネス-3
第12回椅子塾展が8月31日、終わりました。2週間にわたる期間でしたが、この夏休みの暑い中、約3000名をこえる方が来場しました。 |
![]() 第12回椅子塾展(2010年8/19-31) |
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この数字は、新宿パークタワーオゾンの3階プラザで開催できたことと無関係ではありません。椅子の展示は人気ある展示のひとつですが、コンランショップや、他のイベントで来られた人が流れて来たこともこの数字に含まれているからです。でも予想以上でした。「椅子塾展」も12回ともなるとなかなか大変だというのが主催者の本音です。出品し、お付き合いいただいた、塾生の皆さんには心より感謝いたしますと共、大変ご苦労様でした。しかし、終わってみれば今回の展示が今までと大きく違っていたことに気づきました。それは、「椅子塾」始めて10年を区切りに「椅子塾」の目的・方針をビジネスサポートに変えたのですが、その成果が具体的におき始めたことです。その1・2例を紹介します。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チェアロビクス創案者の福島多香恵さん。イスを使ったフィットネス「チェアロビクス」を考案。特に身体の左右差を調整し、疲れにくい身体をつくるチェアロビクスの普及活動されている方です。国会図書館で私の著書「椅子」を読み、オリジナルの独自のイスを開発したいと椅子塾にこられました。開発とは全く縁のない方です。しかし、熱意は半端でありません。「椅子塾」と、その後の試行錯誤のお付き合いの中で昨年、商品化にこぎつけ、本やビデオも出版され、今年から東急ハンズ、横浜店などで販売にいたっているのですが、今回の展示はその完成品を展示、飛ぶような売れ行きが目の前でおきていることでした。 | ![]()
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もう一つの例、1昨年の「徳島もの作り講座」。若い方に混じって参加された、75歳の建具会社の会長と、もう一人、70歳の70人を雇っているメッキ工場の社長。このお二人の経営者の前向きな開発姿勢がすごいのです。その背景には、下請け工場としての限界から、独自の自社商品を持つことで経営を安定したいとの経営者としての強い要望から、会長、社長自身がデザインに直接取り組んだこと。 | ![]() ナルト技研(株) |
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その中で70歳の社長自身がデザインし、昨年の椅子塾展にはプロトタイプを展示し、今年の展示はすでに通販で数千台販売し、東急ハンズの各店でも人気商品となっている睦技研(株)の上下スライド椅子「ム〜スチールチェア」。 | ![]() 睦技研(株) |
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他に岐阜から「夏期椅子塾」に通ってきた事務の女性のデザインした椅子。 | ![]() |
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福井の建築家が自ら販売を始めた抜群に座り心地の良い椅子。 | ![]() |
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元自動車内装デザイン担当だった女性デザイナーのパワフルなパーソナルソファ等々。 | ![]() |
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「椅子塾」の特徴は「デザイン界」以外のパワーが形を結びつつあること。共通している姿勢、めげず、食いついている。いわゆるデザイナーに一番かけているパワーをみなそれぞれが持っている。困難にめげず、あきらめない人種である。最初からその過程を全部見ているので、その目的の一部が今回の「第12回椅子塾展」で見れたことが最大の収穫でした。椅子塾は楽しい。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010年09月03日 井上 昇(広尾にて) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2010年12月02日(木)
● いすの話-12 |
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いすのビジネス-4 「展示会への出展」
いすの話も2ヶ月お休みしてしまいました。理由はいろいろありますがとても忙しかったというのが理由です。11月、椅子塾では大きなイベントに参加していました。東京ビックサイトでのインテリアライフスタイル・リビング展への出展です(11月24・25・26日)。 |
![]() IFFT2010会場入口(2010年11/24-26) |
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今回は私のAWAZA の新作と椅子塾生6名、その中でもナルト工芸(徳島)から玄関椅子の展示が多くありました。とても手応えのある出展でした。 事務局からこんなデーターが届いています。 会期3日間の来場者数(速報)をご報告させていただきます。()は昨年の来場者数。 24日(水) 6,634名(7,293名) 25日(木) 6,067 名 (6,138名) 26日(金) 7,057名(6,750名) 3日間合計 19,758名 (20,226名)。 |
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展示会に出展する理由はいろいろありますが、その第一の目的は、日本全国から来られる家具の販売店さんとの出会いです。販売店さんも売れる、売りたい家具を仕入れたいとの希望を持ってこられます。展示会はその出会いの場ですが、その中でもインテリアライフスタイル・リビング展は今では欠かせない展示会です。展示会への出展は他にも大きな収穫があります。その第1は業界の人との出会いです。普段、同じ業界にいながら会う機会のない経営者、デザイナー、マスコミ、販売店、外国の人たちと話して色々な知恵を頂ける。その第2は他社の展示会の商品を見て今の最新のトレンドが把握できることです。各社はこぞって最新の新製品を出しますから、まとめて、新作をじっくり見ることが出来るのは出展者の非常に大きいメリットです。昨年に比べて約500人ほど来場者が減り、20000人を切ったといえども3日間でこれだけの人がきてくれる日本での家具の展示会ではないでしょう。 | ![]() |
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今回の展示費用は雑費などの出費は事務局の私の会社が負担していますが、2ブースで約100万円強の費用がかかっています。今回、塾生OBが6名、そのうち、徳島の会社、ナルト工芸が26%、5名がそれぞれ7%、合計35%、残りの39%が私の会社の負担金です。1人では出展できにくい個人がそれぞれの負担金を担うことでこんなに素晴らしい展示会に出展し、販売の経験を積むことが出来る。椅子塾ブースのメリットは2回やってみてさらにあることがわかりました。それぞれの展示内容のバラエティーさが多くの訪問者を引きつけていることです。これは昨年もそうでしたが今年もそれを実感しました。 | ![]() |
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1人1人の力は小さくてもグループでの力は思いを超える成果が時としてあります。訪問者でなく展示側に立ってみる見本市は又違ったシーンを見せてくれます。 | ![]() |
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椅子塾の周りの展示会場では、小泉誠さんや村澤一晃さんがデザインプロデュースするメーカーの展示があり、挨拶しながら刺激を受けたり、私たちのブースに足を運んでいただいた、スタンダード・トレードの渡邊兼一郎さん、ミネルバの宮本茂紀さん他、日本各地の大手家具メーカーの経営者や販売店のオーナー、担当者の皆様との会話をとうして日本における家具現場の生のご意見を直接、聞かしていただけるのは出展していなければおきき出来ない話ばかり。これらの話から次の自社商品の形が見えてきます。展示会が終わって今回、展示したAWAZA-3・回転椅子、ダイニングチェアの完成度上げるべく次のチャレンジがはじまりました。
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2010年12月02日 井上 昇 |
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